NAMI

LET ME SHARE A LITTLE ABOUT ME

私もそうですが、はじめましての時ってドキドキしますよね。
はじめてお会いする前に私のことについて少しお話させていただきます。

1992 自衛官の父と看護師の母の長女として旭川に生まれる。
2000 妹誕生。
2001 弟誕生。

幼少期のNami


チャレンジ精神旺盛なお転婆娘。
大人になってもそれは変わらず。

私と英語


私の母は英語が苦手でした。
私には英語が得意になって欲しいという想いで、母は色々な英語の教材を私の為に購入してくれました。
幼少期にディズニーの白雪姫を2か国語で永遠と観ていたことを今でも覚えています。
ビンバンブンという教材も楽しんで使っていました。カードをスラッシュすると英語が流れるんですよね。
懐かしいな。毎週近所の英語教室に行くことも楽しみにしていました。
中学生時代、勉強をすることは好きになれなかったけど、小学校6年生の頃に通い始めた英語教室の先生の影響で英語が得意になり、英語の成績だけは良かったです。
私の英語好きは大人になっても変わりませんでしたが、決して話せるようになることはありませんでした。
英語を話せるようになるには?私に合った勉強法は?色々と考えました。
考えた結果、
英語を母国語としている人たちと生活するというアイディアが思い浮かび、すぐに行動に移りました。




海外生活


海外生活を決めた私が選んだ最初の国はカナダでした。
選んだ理由は私が持つカナダのイメージです。
・比較的治安が良い
・自然が豊か
・フレンドリー
国は決めたものの、滞在方法をどうするか悩みました。当時全く貯金が無かった私には
留学(学生ビザ)という選択肢は頭に無く、格安で滞在出来る方法をGoogleで検索しました。
その時に見つけたサイトがWorkawayでした。
簡単に説明すると
泊まるところを探している旅人と働いてくれる人を探しているホストを繋ぐマッチングサイトです。
そこで私はベビーシッターを探している家族とマッチングをして約4か月カナダで過ごしました。

初めてのホストキッズ


初めて出来たホストキッズ。
充実した毎日を送りました。

帰国後も英語に携わる仕事をしたいと思い、日本の子ども英会話教室で働くことにしました。
1年間でしたが、母国語が英語の講師たちと働くことで英会話に自信がつき、
私はまた海外に行くことを決めます。
次に選んだ国はアメリカです。相変わらずお金の無い私はまたGoogle検索。オペア留学というものを知ります。
オペアケアはアメリカ国務省認定の有給チャイルドケアです。
イントラックスという米国国務省に認可されたJ1ビザのスポンサーを利用して、
マッチングしたホストファミリーとなる家族と1年間アメリカで過ごすことになります。
決して毎日が楽しくて幸せな生活とは言い難いものでした。
ですが、ここに行ったことで、最高な親友を持つことが出来ましたし、
ここで生活した経験が私に忍耐力をつけ、精神的にも強くさせたことは間違いないです。
当時の自分に伝えたいです。
Hang in there,strong girl.Hard times don't last forever.Life moves on.And so will you.

アメリカから帰国後、オーストラリアに行くことにしました。
オーストラリアにはワーキングホリデービザで滞在しました。
アメリカの時と比べると準備のプロセスはそれほど大変ではなく、
ビザはインターネットで簡単に取得する事が出来ました。
どこに行ったら良いのか分からず、とりあえずゴールドコーストに行ってみました。
色々仕事を探そうともしましたが、オーストラリアでの生活を楽しみたいという気持ちが強かったので、
またオペアとしてホストファミリーを探すことにしました。そしてもっとカントリーサイドに住みたいと思い、場所もコフスハーバーという所に移動しました。
ここで出会った日本人ママとオーストラリアパパ、そして3人の子どもたちの家族が私のオーストラリア生活を実りのある
素敵な物にしてくれました。ホストママはオーストラリア在住の留学エージェントです。
近くで彼女の仕事を見ていましたが、親身で丁寧で情熱があって、1人の女性として尊敬しています。
なかなか会えなくなってしまいましたが、今でも時々連絡を取り合っています。

オーストラリア生活

楽しい想い出ばかり。
素敵な出会いに感謝。

そして・・・

私はオーストラリアの保育専門学校に通う予定でした。テストを受けに行き、クラスも決まっていました。ですが一時帰国後、コロナの感染拡大よりにオーストラリアのボーダーが閉じてしまい、通うはずだった学校もシャットダウン。いつ開校になるのか目処も全く立たないということで、オーストラリアに戻ることを諦めました。
さてどうしようか。ここまで目を通していただいた方は、私が次に何をしたのか分かるかもしれないですね。ハイ、そうです。またまたGoogle検索をしました。日本で住み込みベビーシッターを探している英語圏の家族を探しました。AuPairWorldというサイトを利用。その時検索してヒットした家族は3件。ほとんど期待はしていなかったのですが、有難いことに素敵な家族とマッチングをすることが出来ました。その家族とは約2年間、一緒に生活をしました。私がここの家族にジョインした時、下の子は1才で、上の子は4才でした。住み込みということもあり、もちろん大変なこともありました。ホストママとたくさんミーティングをして困難を一緒に乗り越えてきました。彼女は私にとってホストママというよりもパートナーに近い感じでした。楽しい時は一緒に笑って、悲しい時は一緒に泣いて、色んな所に一緒に行き、感動をシェアしてきました。今でも私の生活にアップデートがあるたび連絡をして話しています。きっとこれからも変わらない関係でいられるんだろうなと思っています。

大切なファミリー

たくさん一緒に笑って泣いた。
かけがえのないメモリーたち。

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